暁のかたる・しす

文筆家/編集者・中川大地のはてなダイアリー移行ブログです。

評論「『幻想浮遊系』ポップの時代」全長版

23日のマコロン3(http://www.sengoku-kubo.com/cgi-bin/calendar/schedule.cgi?form=2&year=2006&mon=12&day=23)参考用に、『PLANETS 01』に寄稿した「幻想浮遊系」についてのテキストを再掲しときます。誌面掲載できなかった全長版です。

幻想浮遊系」ポップの時代
〜「虚構の時代」を彩った知られざるオタク系音楽の裏J-POP史〜

 遊佐未森ZABADAK鈴木祥子新居昭乃……。
 アニメブームが一段落して宮崎駿が国民監督への道を上りはじめたり、『ドラクエ』のヒット以降RPGが一般の人々の間に急速に裾野を拡げて、「ファンタジー」なるものがかつてない規模で一般の日本人の間に定着しはじめていた1980年代後半、軌を一にしてデビューしたアーティストたちである。
 以来、消費サイクルの激しいJ-POP界の片隅で20年近く、細々とだが熱心なファンに支持されつづけて現役で活動している彼女たちの楽曲は、もっぱら「妖精ボイス」などと形容される極度のハイトーンやニュアンスに富んだハスキーな声音を駆使し、ほとんどのポップスやロックの主題である「恋愛」や「自己実現への応援」や「社会への反抗」といった日常の生活現実に密着した生の感情とはひとまずかけ離れた、独自のファンタジックな創作情景を歌い描く作風を(少なくともデビューからのしばらくの期間に関しては)特徴としてきた。そのファン層もまた、メジャーな大衆音楽ファンとも、マニアックなサブカル系のマイナー音楽ファンともいささかズレた、アニメやゲーム、さらに少女漫画や児童文学や古本屋めぐりを嗜好する文化系オタク層に近い。ただし、「オタクの聴く音楽」カテゴリーとして90年代に大きく勃興した声優アイドルやアニメソング系のマーケットともあまり重ならず、むしろ民族音楽プログレッシブロックに近いスノッブでハイエンドな音楽ファンからの支持も集めているため、その位置づけはますます要約しがたいところがある。
 そのため、これまで日本のロック史・ポップス史・歌謡曲史いずれの枠組みにもまともに記載されることがなく、やや揶揄的に「癒し系」「ファンタジー系」「オタク系」などと漠然と括られることはあったが、過不足ないニュートラルなカテゴライズは依然として定着せず、彼女らの音楽はカルチャーシーンからは一切顧みられることがなかったと言える。だが、そのマージナルな立ち位置からは、現代文化への知的関心の強い人々の間で昨今しきりに論じられている「サブカル」と「オタク」の、「ネタ」と「ベタ」の、そして「現実」と「虚構」の狭間で緊張を強いられている過渡期の世代としての「オタク第二世代」的な心性の表象と、そこから普遍的な生き様を模索する可能性のヒントとしても、実は多くの示唆が読みとれるだけの内実を秘めたジャンルであると、筆者などは考えている。
 そこで、その考察の第一歩として、まず彼女らの詞曲と声音の傾向を正確にとらえつつ、「ああ、ああいう人たちのことか」と一聴してイメージできる呼び名として「幻想浮遊系」の語を提案したい。等身大サイズの関心をライトファンタジー的に歌う遊佐未森プログレ的な感性から民族音楽的ルーツにまで遡り高踏的なハイファンタジーのテイストをもつZABADAK(やそこから「のれん分け」した上野洋子)、あくまで生々しい心情や現実の対象化の仕方が幻想的・浮遊的に聴かれていた鈴木祥子、そして「和製ファンタジー」のアニメ化の歴史において欠かせない歌い手である新居昭乃
 本稿では、この4人を「幻想浮遊系」カテゴリーのコア・アーティストと規定し、彼女らの初期から現在に至るまでの音楽性を概観する。なかなかとらえづらかったその時代性との関係が浮かびあがり、「もうひとつのJ-POP史」が見えてくるはずだ。

<前史>1970年代後半〜1980年代前半 「虚構の時代」の予感〜“起源”としての谷山メルヘン・フォークとエキゾチック歌謡のヒット〜

 「幻想浮遊系」というカテゴリーを日本のポピュラー・ミュージック史に仮構する場合、名実ともにその元祖といえる存在が谷山浩子である。政治の季節が終わり、オイルショックを経た安定成長下で高度消費社会が到来しつつあった1975年というデビュー時期は、見田宗介が戦後復興期の「理想の時代」・高度成長期の「夢の時代」につづく戦後社会史の第三フェーズと規定した「虚構の時代」の幕開けとも重なる。
 彼女のデビューから80年までの楽曲を収録したベスト版『70's』を聴けば、現実の生々しさから一歩離れた夢見がちな物語世界の構築を特徴とするこのカテゴリーが、かつて反体制のアングラ・ミュージックだったフォークが歌謡曲化される過程で生じた「メルヘン・フォーク」を直接の起源とすることが偲ばれる。すなわち「四畳半フォーク」にひたれるほど貧乏ではなく、「ニューミュージック」ほどオシャレに現実適応もできないナイーブな若者たちの心象代弁表現として、井上陽水やイルカに近いところから分岐したわけだ。
 彼女のデビュー曲「お早うございますの帽子屋さん」のタイトルは、実はギョーカイ挨拶用語の「お早うございます」から来ているのだという。このあたりの感性からも垣間みえる、諧謔の混じった楽屋オチ的な図太さは70年代後記〜80年代前半に活躍した原新人類=原おたく的な文化リーダーが総じて持つ特徴でもあると言えよう。実際、谷山は漫画・アニメのイメージ・アルバムや劇伴制作およびジュヴナイル小説やゲーム・エッセイの執筆など、音楽プロパー以外の諸メディアにも深く関わり、第一世代おたくに強固な支持層を獲得していく。そうしたオタク市場との親和性の高い存在様式は、「幻想浮遊系」ミュージシャンのひとつの原型として後に受け継がれていくことになる。
 一方、旧来の大衆的な歌謡曲の文脈における「幻想浮遊系」的なるものの浮上として挙げておきたいのが、「異邦人」の一発ヒットで懐メロ歌手としてよく振り返られる久保田早紀である。旧来の歌謡曲とJ-POPの過渡的形態ともいえる、歌曲を自作自演する「シンガーソングライター」というスタイルでのニューミュージックが全盛だった当時、「異邦人」を含むデビューアルバム『夢がたり』は、シルクロードを旅する詞世界の趣向や、ポルトガルの民俗音楽ファドの要素など、日本とアメリカの味しかしないそれまでの流行歌とはまったく異なる、異国情緒あふれるコンセプチュアルな作品であった。
 とはいえ、あくまで詞の世界観の想像力は「エキゾチシズム」の範囲に留まり、恋に破れたり惑ったりする孤独な女の彷徨という物語性もまだ歌謡曲的・演歌的で、のちの「幻想浮遊系」アーディストたちのようなオリジナルな世界創作性に欠けているし、創り手・聴き手双方の具体的な影響関係はおそらく皆無である。ただし繊細で透明感のある声質とアルバムのフィクショナルな統一感や、ワールドミュージック的な要素の積極的な導入などは、谷山浩子以上に「幻想浮遊系」的な要素が強い。
 その後はヒットが続かず、数多いる「ヒットに呑まれた一発屋スター」の構図で商業音楽シーンから消えざるをえなかった彼女だが、ロック・ポップス革命(=邦楽総J-POP化)がまだ浸透せず、歌謡界の全面的な多様化・ボーダーレス化がまだ過渡にある段階での早すぎた「幻想浮遊系」の先駆として、ここでは位置づけておきたい。

<1>1986〜1990年 冷戦エアポケット下の様々なる意匠〜空想的な情景創作スタイルの模索と確立〜

 1986年というタイミングは、70年代後半から顕著に始まった高度消費社会化・情報化の波がひと巡りし、少なくともある程度以上都市化された情報環境に暮らす人々のライフスタイルや価値観の順応がさしあたり完了していたおり。ユーミンYMOBOOWYといったリーダー的アーティストやロック/ニューミュージック系人脈の音楽人たちに仕掛けられたニューアイドル群が旧来の歌謡界をすっかり模様替えさせ、カラフルな「80年代」がいよいよ爛熟してくると、もはや世代や趣味の垣根を越えて国民的関心を喚起できるポピュラー音楽シーンというものは存在しえなくなってくる。かくして時代遅れになって「ひょうきんベストテン」でギャグにされつくした各局ベストテン番組は相次いで終了、後は微細に「分衆」化した受け手の趣味・人格類型に応じてさらに多様な「自己表現」の差異を高度化していくしかない。
 そんな時代前提を負った「個性派」アーティストたちの一人として、この年、東芝EMIからZABADAKが、ビクターから新居昭乃が、デビューを果たす。
 PROJECT.K名義でライブハウス中心に活動しながらCM音楽等でメロディメーカーとして頭角をあらわし、まだCDの普及しきっていなかった86年中にミニアルバム『ZABADAK-I』をもって命名となったZABADAKの初期メンバーは、吉良知彦上野洋子と詩人の松田克志東芝EMI時代の初期に脱退)の三人。つづく87年にはミニアルバム『銀の三角』、およびミニアルバム2枚の収録曲をまとめCD化した『WATER GARDEN』、さらに初のフルアルバム『WELCOME TO ZABADAK』を立て続けにリリースする。日本歌謡的な湿度やアメリカンポップ的な単純明快さとはまるでかけ離れた、英国プログレッシブロックの影響色濃い彼岸的・文明批評的な楽曲世界は、マニアックな洋楽ファンなどに注目されつつあった。
 他方、新居昭乃の86年のデビュー曲は藤川桂介原作・いのまたむつみキャラクターデザインの長編ファンタジーOVAウィンダリア』の主題歌・挿入歌「約束」「美しい星」。OVAというメディアは、まさに『宇宙戦艦ヤマト』以来の一体感あるカルチャームーブメントとしての最初のアニメブームが収束し、ファンの市場がタコツボ化しはじめたこの時代のアニメシーンの特徴的なメディアといえる。アニソンと一般ポップスの間に音楽形式上の差異がなくなって久しく、OVAの版元でもあるレコード会社が新人や中堅以下の所属歌手にアニメの主題歌を担当させる売り出し方が当たり前になってきていた中での凡庸な一例だったが、当時はまだ珍しかった最初期の「和製ファンタジー」世界を彩ってみせた意味は決して小さくなかった。2曲を収録したデビューアルバム『懐かしい未来』のリリース以降、ソロアーティストとしての活動は長期にわたって途絶えるが、種ともこPSY・Sといった他アーティストのコーラスや楽曲提供などを手がける裏方ミュージシャンとして実力を発揮していく中で、その後も世界観の立ったファンタジーやSF系のアニメ作品の歌曲を数多く手がけていくことになるのである。

 そして翌87年には、TM NETWORK渡辺美里小比類巻かほるらの登場によって、不良性・反社会性を脱色しつつ、決して能天気なアイドルソングではないサウンドクオリティを持つ、「普通の若者」の心性を応援し素直に聴けるポピュラーロック路線を確立して飛ぶ鳥を落とす勢いにあったEPICソニーから、遊佐未森鈴木祥子が相次いでメジャーデビューする。
 同期で歳も一つ違いの遊佐と鈴木は仲が良かったが、両者の88年のデビューアルバムはともにまだプロデュース側がそれぞれの音楽性を見出しきれていない方向性模索傾向のもの。国立音大を卒業し、87年までに芽が出なければ田舎に帰る覚悟で音楽出版各方面にデモテープを送ったことがデビュー契機となった遊佐の『瞳水晶』は、遊佐の声という共通素材を、複数の楽曲提供者がそれぞれタイプの異なる詞曲世界で料理し一同に集めた競作集といった趣だ。
 対し、もともと原田真二ビートニクス、小泉今日子といったメインストリームのアーティストやアイドルのバックミュージシャンとしての下積みを経てデビューした鈴木の『VIRIDIAN』収録の多くの曲は、きわめて80年代中盤的な「明るく元気なガールポップ歌手」の典型イメージを踏まされている。そうした曲群のなか、後の展開に鑑みるとデビュー曲「夏はどこへ行った」のような対象を一歩離れた視点で静かに叙景しつつ物想いに耽る繊細な詞曲が「幻想浮遊系」としての彼女の作風の核として受け継がれていったと言えるだろう。

 幻想浮遊系アーティストとしての遊佐未森のイメージをほぼ決定づけたのが、89年発売のセカンドアルバム『空耳の丘』だ。当時アーノルド・シュワルツェネッガーが出演した日清カップヌードルのCM曲として現在に至るまで彼女の最も一般によく知られる曲でもある「地図をください」を含むこのアルバムは、ファーストの楽曲制作者のひとり外間隆史の全面的なプロデュースにより、「ぼく」を主語にするライトファンタジー的な詞、英国プログレを聞きやすくしたような軽快かつ温和な打ち込み主体の曲、ブックレットに創作短編童話を載せた特殊装幀等、きわめて周到な統一感によって造りこまれたものだった。
 同じく89年、MMGに移籍後第一弾のアルバムとして出たZABADAKの『飛行夢(そらとぶゆめ)』は、比較的暖かみのあるメロディラインや視覚的なイメージが湧きやすい詞等で、冷たい透明感をもつ上野洋子のハイトーンボイスが徐々にエモーショナルなポップ感を獲得してきたために相対的に遊佐未森の傾向に近づき、出自的には異なる両者のファンが明確に重なりはじめてきた作品と言える。
 鈴木祥子はセカンド『水の冠』を経て90年の『風の扉』になると、気丈なビート・サウンドは陰をひそめてスローバラードに乗せてリリカルな心象風景を静かに歌い上げるスタイルが定着してくる。その収録曲の中で遊佐未森がコーラスをつとめているが、このアルバムのパッケージもタイトル字体や写真の撮り方等、非常に遊佐の『空耳の丘』や同傾向のサードアルバム『ハルモニオデオン』に酷似しており、プロデュース側が両者を同系統のアーティストとして売り出そうとしていたであろうことがうかがえる。

 この時期の各アーティストの曲群の中で特徴的なのは、チェルノブイリ事故等での地球環境問題への関心や、湾岸戦争勃発を受けての終末感が高まっていたおりであったため、そうした大問題を憂う楽曲が目立ったことである。比較的ガールポップ傾向の強かった新居の「美しい星」や鈴木の「愛はいつも」はそうした主題をかなり大上段に感傷的に、遊佐の「旅人」やZABADAKの「GOOD BYE EARTH」は静かに叙景的に歌われていたが、こうした問題意識へのコミットがファンタジーになってしまう状況には、まさにこの時代のこの国の、あまり当事者的切迫感のない擬似社会派的な雰囲気の訪れを見出すことができるのかもしれない。

<2>1990年〜1993年 「89年体制」というファンタジー〜カスタム幻想表現の爛熟〜

 そうして到来した擬似社会派的な時代の雰囲気のことを、佐藤賢二は「89年体制」と呼んだ。それはまず冷戦体制に守られた欺瞞的な平和の元で未曾有の豊かさを、他を一切顧慮することなく享受することのできた80年代へのリバウンドとしての後ろめたさであり、ソ連の崩壊や湾岸戦争などで日本の置かれたマクロな大前提が変わってしまったことへの頭で考えた危機意識と、いまだバブル経済の渦中で繁栄をむさぼっている自分たちの実態との奇妙なギャップに戸惑う浮き足立った振る舞いのことであった。
 技術や音楽史に鑑みての位置づけなどは二の次で赤裸々に「個性」を表現しさえすればよしという風潮とともにあったバンドブームが一瞬の隆盛を誇り、メジャー音楽シーンではKANや大事MANブラザーズの露骨な前向きソングや、ZARD大黒摩季らの漠然とした人生応援歌のヒネリのない素朴さが受けたのも、そんな時代性のあらわれと言える。

 メジャーとマイナーの中間にいる「幻想浮遊系」アーティストたちの黄金期もまた、何故かこの時期にぴったりと重なってくる。当時のEPICソニーの女性アーティスト陣は百花繚乱で、90年発売の遊佐未森の4枚目のアルバム『HOPE』はもっとも多くのファンを獲得した作品といわれる。『空耳の丘』『ハルモニオデオン』から引き続く「ソラミミ3部作」を締めくくる外間ライトファンタジー作風の集大成で、収録曲「夏草の線路」は今でもファンのオールタイムベストナンバーに挙げられることが多い。コミケや『ファンロード』の「歌うたい特集」などで彼女の名が人気カテゴリーとして目立ってくるのもこの頃だ。
 同じく90年発売で、「満ち潮の夜」のような三拍子のヨーロッパ古楽調の曲や、文明論的スケールでエコロジカルなテーマを歌い上げた「遠い音楽」「harvest rain」の二大曲を擁するZABADAKの『遠い音楽』もまた、完成度において彼らの最高傑作との呼び声高い。
 鈴木祥子の『Hourglasss』も透明感ある打ち込みの音づくりを主体に、静謐な叙景スタイルで切々と心象をつづる作風をますます洗練させ、やはり統一感ある完成度の高さを評価される作品に仕上がっている。

 ただ、それぞれ楽曲世界を高度に完成させた後のアーティストたちは、あまり長くその世界イメージを保持しようとはしなかった。
 遊佐は91年の『モザイク』では徐々に外間隆史色を減らし、自身の作曲による20分以上の組曲に挑むなどの実験を始める。また92年に初のベストアルバム『桃と耳』を編み、音楽活動に区切りをつけた。
 鈴木祥子も同じく92年にベスト版『harvest』を出したのち、93年の『Radio Genic』をそれまでの方向性の集大成的な作品として送り出す。と同時に、前作に比べロック的なギターサウンドの主張が増し、曲調の温度が徐々に高まってきているあたりに次からの展開への萌芽を見出せる。同じく過渡的な性格をもつ遊佐の『モザイク』に似た位置づけの作品が、鈴木ではベスト盤の後に出た格好だ。
 『遠い音楽』で頂点に達した吉良・上野コンビのZABADAKは、91年の次作『私は羊』でよりポピュラー寄りの曲づくりを、新居昭乃も「アジアの花」を提供した93年の『桜』にて日本やアジアを意識した曲世界に挑んだのち、MMG時代の曲を中心とする10年間の活動のベストアルバム『DECADE』でもって終了する。以後はZABADAK吉良知彦ひとりのユニットとなり、上野洋子は別の音楽性を追求してゆくこととなる。

 繁栄の幻想に半睡半醒でまどろんでいた国内状況も、いよいよ本格的に動きはじめる。バブル崩壊や93年政変を期に、90年代というつるべ落としの変化は、誰の目にもはっきりと映りだしていた。

<3>1993年〜1996年 「93年体制」の到来〜自己完結的世界の拡散・離脱・ルーツ探索〜

 「93年体制」というのは、やはり佐藤賢二が指摘した、ポストバブルの消費低迷で内に籠もって「癒し」を求めたりする辛気くさい風潮傾向のこと。先の見えない不景気に95年に立て続けに起きた阪神大震災オウム真理教のテロが拍車をかけ、人々の世紀末的な閉塞感がさらに煽られた。
 「89年体制」下でかつてのトレンディドラマに代わりヒットした純愛ドラマは、野島伸司などの登場で今度は極端な展開で人間関係をこじらせる悲喜劇を描くエキセントリックなサイコドラマなどに置き換わりはじめ、J-POP(という邦楽シーンの呼びならわし方自体もこの頃の登場である)のヒットチャートはどきつい単調なユーロビートでムリヤリ現実遮断して盛り上がるかのような小室系のアーティストたちに占められる。
 もはや諸文化が世代や階層を超越するオーラを失い、メインもサブもなく単に多様化した消費財のひとつとしてしか扱われえなくなるなかで人々の趣味はますますタコツボ化、一定の嗜好傾向を「〜系」と横並びに括って他者や自分を微細なカタログ枠組みに分類する手つきそのものも、この体制下の産物だ。

 まさに今そういう手つきにおいて「幻想浮遊系」と命名し括っている遊佐・鈴木・ZABADAKらがこの時期に一斉に音楽的な変化を試みているのも、おのずとそうしたマーケティング的なラベリングを強いる「93年体制」を息苦しく感ずる意志が、彼女たち自身の転機として生まれたからであろうか。
 遊佐未森の93年のアルバム『momoism』はほとんどの詞曲を遊佐自身が創り、それまでの空想ファンタジー的なソフト・ロックから、動植物や風景や童話に材を採って心情をつづる欧風の花鳥風月詩のような作風に一変。つづく94年にもアイルランドのNight Noiseをバックに迎え、同様の題材傾向をアイリッシュサウンドに乗せたミニアルバム『水色』を発売し、従来作のファンを大いに戸惑わせる。
 そうした実験的模索の経たのちの『アルヒハレノヒ』は、打ち込み主体の躍動的なソフト・ロックに再度戻りながらも南国楽園的な雰囲気やアンビエント調の要素を取り入れて確かに初期とははっきり異なる趣向を打ち出し、確かに当時の派手なプロモーションのアオリ通りに「遊佐未森、新境地」をみせた。
 鈴木祥子もまた同じ年、自身の音楽的ルーツとして愛してきた60〜70年代のアメリカン・オールディーズに回帰するかのように、バート・バカラックの楽曲をカバーしたミニアルバム『SHOKO SUZUKI SINGS BACHARACH & DAVID』をリリース。翌95年には『SNAPSHOTS』でがらりとコケティッシュなロックシンガーに化けてみせ、もはや「幻想浮遊系」とは呼びづらい赤裸々な心情表出を前面に出してくる。
 さらに翌96年の遊佐のアルバム『アカシア』では、スピッツの「野生のチューリップ」をカバーするなど、「普通のJ-POPアーティスト」への接近はますます著しくなった。

 一方で「のれんわけ」後のZABADAKは、吉良知彦が毎回ゲストアーティストとのセッションでアルバム制作をするユニットとなる。新居昭乃も参加した94年の『音』、全アルバム中最もビートロック・テイストの濃い95年の『SOMETHING IN THE AIR』、宮沢賢治の童話をモチーフにした96年の『光降る朝』と、様々な実験を試みつつ全体的にはロック色の強い音楽傾向に向かっていったと言える。
 反対に上野洋子はヨーロッパ古楽ブルガリアンヴォイスなどの民族音楽によりコアに傾倒してゆく。ZABADAK脱退直後の93年の『VOICES』は、意味のある詞を排除してポップに背を向け、多重録音コーラスによるボイスパフォーマンスの可能性を追求する実験音楽といった風合いのアルバムだった。また、95年には同様の関心をもつミュージシャンたちと意気投合したコンセプト・ユニットVita Novaに参加し「古楽ポップ」なる表現に挑む。このユニットで同時リリースされた複数のアルバムのうち、創作民謡集とでもいうべき『Laulu』には遊佐未森も参加、珍しい遊佐と上野の共演も実現している。

 こうして、それぞれの路線転換により、90年代中盤にはもはや求心力あるポップな「幻想浮遊系」のコアはほとんど解体しつつあったと言え、筆者を含め彼らの音楽を同傾向の興味で聴いていた少なからぬファンが脱落していったのであった。

<4>1995年〜1999年 デフレ不況と“自分”の逆襲〜「メンヘラー」的傾向とそれぞれの見出した「現実」〜

 強固なイメージ喚起力をもつ声質や楽曲で「幻想浮遊系」という傾向性をJ-POPシーンの片隅に打ち立てたコア歌手たちは、しかし90年代が下るにつれてその音楽世界を「現実」化させていった。
 90年代の後半といえば、『新世紀エヴァンゲリオン』がさまざまな要因によって時代の空気とシンクロし同時代のありとあらゆる文化ジャンルに諸影響を及ぼしていたが、その「大人になれずに現実に傷つく自分」のエキセントリックな内面表現にも広範な共感が集まっていたおり。
 J-POPシーンにも川本真琴coccoJungle Smileといった「痛々しい自分」の内面を過剰に赤裸々に表現する「メンヘラー」的傾向の歌曲を歌うアーティストが登場し、デフレ不況や14歳の少年による猟奇殺人事件といった「自意識過剰の90年代」の不安な空気が蔓延するのと、「幻想浮遊系」アーティストたちの変化も無縁ではなかったのである。

 その変化がもっともストレートかつ顕著に出たのが鈴木祥子で、もともとエモーショナルに揺れまどう内面性を持てあましながら、おそらくマーケティング戦略などの外的都合で穏やかな「幻想浮遊系」の殻に押し込めていた“自分”が、先述の『SNAPSHOTS』や97年発売の同傾向の次作『Candy Apple Red』で遅ればせながらにストレートな表出を始めたという感がある。この傾向が頂点に達したのが翌98年の『私小説』で、タイトル通り前作よりいっそう生々しく女としての“自分”を俎上に上げる度合いを高めた作品と言える。「完全な愛」などの濃厚で不透明な音づくりと重く引きずるような歌い方を聴きこむと、初期作品で外界の現実風景を淡い透明感ある水彩画のように心象化していたのと同質のまなざしを自らの内面に向けたことの、必然的な帰結ではないかという気もしてくる。
 さまざまな趣向を実験的に試みてきた遊佐未森は、97年の『ロカ』および東芝EMIに移籍した98年の『Echo』で、『水色』以来ふたたびNight Noiseが参加し、アイリッシュテイストのポップをより昇華・発展させ、自分のものにしている。「ロカ」「タペストリー」といった伸びやかなスケール感ある曲群と、「あけび」「ミント」のような身辺の小事をスロー・メロディで絵日記風に描くものの二群を作風として定着させつつ、初期のコスプレ感にあふれた幻想世界とは異なるナチュラルな表現世界を確立していく。このナチュラル・アイリッシュ路線の土台に乗りながら、幾分か「メンヘラー」的な不安への踏み込みが垣間みえるのが99年の『庭』で、その内省的な詞曲に遊佐自身が健康の問題で歌手生命に不安を感じたことが反映されていると指摘する声もある。
 また、ZABADAKも97年の『LiFE』で個人的な生への賛歌をストレートに歌うロック路線を、98年の『はちみつ白書』で「クマのプーさん」を題材にした企画路線に取り組むが、かつての独自世界を構築する「ZABADAKらしさ」の求心力はますます低下してゆく。だが、この時期の吉良知彦上野洋子はそれぞれ他アーティストとのユニット・コラボや新人発掘、オムニバスへの参加、アニメやゲームの主題歌・サウンドトラックへの楽曲提供といった「他人の幻想世界」の構築に積極的に協力することによって人脈の結節点となり、バイオスフィアレーベルを中心に大きな「ZABADAKファミリー」を形成して次代の「幻想浮遊系」アーティストの裾野を拡げていったと言えるだろう。

 そうしたZABADAK人脈の一人として、90年代後半になって大きな展開をみせたのが新居昭乃である。デビューアルバム以後はソロアーティストとして自己の世界を築くことではなく、90年代前半は『ぼくの地球を守って』『ロードス島戦記』『風の大陸』などの和製ファンタジー系アニメ・ゲームのサントラやイメージアルバム、他アーティスト作品やオムニバス版への参加といった裏方仕事に費やしてきたのが彼女だったが、97年にそれらの提供曲を集めたコレクション・アルバム『空の森』をリリースしたのをきっかけに、ソロ活動を再開することになる。同じ年に出た実に11年ぶりのオリジナルセカンドアルバム『そらの庭』は、「現実化」ないしポップ離れした遊佐・ZABADAK空位を一気に埋めるスケール感と独自世界の構築性を持ちながら、両者にはないどこか儚げで温度の低い退廃的な声質・唱法とダークさを秘めた詞世界を特徴としていた。それは「セカイ系」が勃興していくこの時代なりの新たな「幻想浮遊系」の求心力あるスタイルを示してみせたのである。
 そしてソロアーティストとしての新居を中心に、『マクロスプラス』『カウボーイ・ビバップ』で作家性の強いアニメサントラの作曲家として頭角を現してきた菅野よう子や、キングレコードのベタな声優アイドル路線に対する、ビクター所属の本格アーティスト志向の声優歌手という打ち出しの坂本真綾らが、人脈的にもファン層的にも同系統をなす一群となり、タコツボ化の進行してゆくオタク市場の一角に生存圏のひとつのコアを確立することになる。

<5>2000年〜現在 市場の「動物化」と「決断」への誘惑の下で〜時代への適応と対峙〜

 新居昭乃ら第2次の「幻想浮遊系」ポップの成立の背景にあるのは、『エヴァ』以降の深夜放送枠アニメの激増である。かつてはOVAやゲームなどのパッケージ作品内に限られていた歌声が、マニアックに多様化した深夜アニメのテーマ曲(新居の場合はとりわけエンディング曲がほとんど)として地上波に開放されることでより幅広いオタク層の中に新規ファンを開拓しつつ、ソロアーティストとしての活動の基盤になっていったのである。
 深夜アニメの細分化と伸長はまさに、東浩紀が『動物化するポストモダン』で主張した、「虚構の時代」の次のフェーズ「動物の時代」の到来を示す典型的な特徴だとされる。すなわち、人々の消費行動のタコツボ化が浸透しきり、それぞれの欲望の性癖(=「萌え」)に合わせて効率的にそれを満たすコンテンツが、もはやデータベースと呼べるほどの規模であらかじめ存在する、歴史性をなくした厖大な記号パターン(=「萌え要素」)の組み合わせとして構成可能で、多くの消費者はそうした高度消費社会のシステムに馴致されて「動物化」し、自分の既知の消費性癖内における記号パターンの順列組み合わせで充足してしまう、ということ。
 こうした傾向は音楽コンテンツの提供と受容形態でも同様で、近年のデジタル音楽プレイヤーとネット音楽配信ビジネスの伸長により楽曲の1曲単位でのダウンロード販売を可能としているため、レコードやCDといったパッケージ媒体に合わせて複数の楽曲を一連のコンセプトとして企画・制作し、アルバムとして出版するというかたちのミュージシャン活動への大きな阻害的インパクトになることが懸念されている。「幻想浮遊系」アーティストたちは、一般アーティストに比べてとりわけアルバム単位でのコンセプチュアルな世界観づくりをその独自性の淵源としてきたため、この時流は不適合なものと言えるだろう。
 そんな、アルバムという表現の地位が徐々に低下していく音楽界の情勢にあって、2000年発売のオリジナルサードアルバム『降るプラチナ』、翌年のコンセプトアルバム『鉱石ラジオ』、02年のコレクションアルバム『RGB』、04年のオリジナルアルバム『エデン』と、05年発売のベスト盤的コレクションアルバム『sora no uta』と、00年代の新居昭乃ディスコグラフィーは楽曲群の位置づけの違いによって細かく各ディスクのパッケージングを峻別し、データベース化する市場の要請に対応しつつ、「アルバム単位で買ってもらえる」アーティストとしての地位を築き上げてきた例でもあるのあろう。

 一方で、00年代は泥沼の90年代不況への本格的な危機感や9.11テロ以降の世界情勢の不安定化を背景に、90年代以来の諸問題をさらに深刻化させつつも、「痛み」に耐える構造改革や世論の保守化といったかたちで従来以上に「リアリズム」が強調され、メンタルな自閉を厭うて「解決」へのアクションが求められる「決断の時代」でもある。そうした中で『プロジェクトX』に代表されるような高度経済成長懐古や昭和30年代ブームが起こり、かつての日本の一体感や社会目標の共有に範をとろうとする動きも盛んになってゆく。
 そうした状況の進展からすると、「日常の小さな事象を慈しむこと」をテーマに据えた遊佐未森の00年のアルバム『small is beautiful』や翌年の『ホノカ』は、静かな作風ながら時代の気分に対する強い意志的なスタンスであったと言える。さらに02年には、大正〜昭和初期の流行歌をカバーしたコンセプトアルバム『檸檬』をリリース。邦楽界の一部に幾分ナショナリスティックなきらいのある昭和歌謡ブームが起こる中、大正デモクラシー当時の日本人の「幻想」としての異国への憧れを率直に受容した「小さな喫茶店」「アラビアの唄」「蘇州夜曲」といった歌曲を歌手としての自分の原点として歌ってみせるスタンスにもまた、時代から逃げず、逆らわず、さりとて迎合せずといった距離感が垣間みえなくもない。翌03年の『Bougainvillea』では久々に外間隆史を迎えて「ソラミミ時代」を彷彿とさせる厚みのあるポップなサウンドで旧来のファンの支持も獲得しつつ、日常のナチュラルな感覚を歌う近年の詞世界の路線と融合させた意欲作であった。
 また、吉良知彦ZABADAKも、00年の『iKON』、01年の『COLORS』、02年の『SIGNAL』で、再び民族音楽的なテイストやインストゥルメンタルの大曲、プログレ的な物語性・構成性といったかつてのZABADAKらしさを復活させる一方で、90年代に前面化させたロックサウンドや直截に内面を歌う詞世界との調和が図られており、第1次「幻想浮遊系」アーティストたちの間でも“自分”と幻想表現との間で揺れた90年代の惑いにひとつの着地点が見出され始めているようだ。


 以上、「幻想浮遊系」アーティストたちの現況としては、こんなところだろう。
 思春期以来、彼らの音楽を愛聴してきた筆者としては、不況やポストモダン状況へのリバウンドとしていささか性急に求められている「現実」への適応圧力に対し、バブル期・バンドブーム期に登場した彼らがその路線を逡巡しながら歌い奏でてきた「幻想」の内実が、決して逃避的なばかりではなく、現実と批判的な距離をもって対峙する視座として読み解きうることを心強く思う。
 「近代」という環境が成立していく過程で、その受容にともなう実存的なコンフリクトを把捉することで個的な適応や癒しを獲得する行為を「文学」という言葉の範疇とすれば、それをストレートな方法で表現する自然主義のリアリズム文学に対して、前近代的神話や自然などを範にした独自の「律」をもつ架空世界と物語を描く幻想文学という方法は、ある意味そのひとつの前衛だ。ロック・ムーブメントを文学運動になぞらえ、「89年体制下」におけるバンドブームをそんな自然主義文学のメインストリームに喩えるなら、「幻想浮遊系」はまさにそうした、現実を逆照射する前衛的方法としての本義を、その奥底に秘めているはずなのだ。
 その可能性を退廃させることなく聴けるかどうか。それは、高度成長以来の「虚構の時代」以後の世界しか知らない世代が、己の生き様をいかに緊張感をもってカッコ良く、豊かにできるかどうかの試金石でもあるだろう。音楽はまさに、その人の生き様をダイレクトに映し出す文化だ。そして音楽ジャンルそのものに貴賤があるのではなく、聴く人間の生き様こそが、ジャンルの貴賤を決めるのだから。