暁のかたる・しす

文筆家/編集者・中川大地のはてなダイアリー移行ブログです。

<2>1990年〜1993年 「89年体制」というファンタジー〜カスタム幻想表現の爛熟〜

 そうして到来した擬似社会派的な時代の雰囲気のことを、佐藤賢二は「89年体制」と呼んだ。それはまず冷戦体制に守られた欺瞞的な平和の元で未曾有の豊かさを、他を一切顧慮することなく享受することのできた80年代へのリバウンドとしての後ろめたさであり、ソ連の崩壊や湾岸戦争などで日本の置かれたマクロな大前提が変わってしまったことへの頭で考えた危機意識と、いまだバブル経済の渦中で繁栄をむさぼっている自分たちの実態との奇妙なギャップに戸惑う浮き足立った振る舞いのことであった。
 技術や音楽史に鑑みての位置づけなどは二の次で赤裸々に「個性」を表現しさえすればよしという風潮とともにあったバンドブームが一瞬の隆盛を誇り、メジャー音楽シーンではKANや大事MANブラザーズの露骨な前向きソングや、ZARD大黒摩季らの漠然とした人生応援歌のヒネリのない素朴さが受けたのも、そんな時代性のあらわれと言える。

 メジャーとマイナーの中間にいる「幻想浮遊系」アーティストたちの黄金期もまた、何故かこの時期にぴったりと重なってくる。当時のEPICソニーの女性アーティスト陣は百花繚乱で、90年発売の遊佐未森の4枚目のアルバム『HOPE』はもっとも多くのファンを獲得した作品といわれる。『空耳の丘』『ハルモニオデオン』から引き続く「ソラミミ3部作」を締めくくる外間ライトファンタジー作風の集大成で、収録曲「夏草の線路」は今でもファンのオールタイムベストナンバーに挙げられることが多い。コミケや『ファンロード』の「歌うたい特集」などで彼女の名が人気カテゴリーとして目立ってくるのもこの頃だ。
 同じく90年発売で、「満ち潮の夜」のような三拍子のヨーロッパ古楽調の曲や、文明論的スケールでエコロジカルなテーマを歌い上げた「遠い音楽」「harvest rain」の二大曲を擁するZABADAKの『遠い音楽』もまた、完成度において彼らの最高傑作との呼び声高い。
 鈴木祥子の『Hourglasss』も透明感ある打ち込みの音づくりを主体に、静謐な叙景スタイルで切々と心象をつづる作風をますます洗練させ、やはり統一感ある完成度の高さを評価される作品に仕上がっている。

 ただ、それぞれ楽曲世界を高度に完成させた後のアーティストたちは、あまり長くその世界イメージを保持しようとはしなかった。
 遊佐は91年の『モザイク』では徐々に外間隆史色を減らし、自身の作曲による20分以上の組曲に挑むなどの実験を始める。また92年に初のベストアルバム『桃と耳』を編み、音楽活動に区切りをつけた。
 鈴木祥子も同じく92年にベスト版『harvest』を出したのち、93年の『Radio Genic』をそれまでの方向性の集大成的な作品として送り出す。と同時に、前作に比べロック的なギターサウンドの主張が増し、曲調の温度が徐々に高まってきているあたりに次からの展開への萌芽を見出せる。同じく過渡的な性格をもつ遊佐の『モザイク』に似た位置づけの作品が、鈴木ではベスト盤の後に出た格好だ。
 『遠い音楽』で頂点に達した吉良・上野コンビのZABADAKは、91年の次作『私は羊』でよりポピュラー寄りの曲づくりを、新居昭乃も「アジアの花」を提供した93年の『桜』にて日本やアジアを意識した曲世界に挑んだのち、MMG時代の曲を中心とする10年間の活動のベストアルバム『DECADE』でもって終了する。以後はZABADAK吉良知彦ひとりのユニットとなり、上野洋子は別の音楽性を追求してゆくこととなる。

 繁栄の幻想に半睡半醒でまどろんでいた国内状況も、いよいよ本格的に動きはじめる。バブル崩壊や93年政変を期に、90年代というつるべ落としの変化は、誰の目にもはっきりと映りだしていた。