暁のかたる・しす

文筆家/編集者・中川大地のはてなダイアリー移行ブログです。

<前史>1970年代後半〜1980年代前半 「虚構の時代」の予感〜“起源”としての谷山メルヘン・フォークとエキゾチック歌謡のヒット〜

 「幻想浮遊系」というカテゴリーを日本のポピュラー・ミュージック史に仮構する場合、名実ともにその元祖といえる存在が谷山浩子である。政治の季節が終わり、オイルショックを経た安定成長下で高度消費社会が到来しつつあった1975年というデビュー時期は、見田宗介が戦後復興期の「理想の時代」・高度成長期の「夢の時代」につづく戦後社会史の第三フェーズと規定した「虚構の時代」の幕開けとも重なる。
 彼女のデビューから80年までの楽曲を収録したベスト版『70's』を聴けば、現実の生々しさから一歩離れた夢見がちな物語世界の構築を特徴とするこのカテゴリーが、かつて反体制のアングラ・ミュージックだったフォークが歌謡曲化される過程で生じた「メルヘン・フォーク」を直接の起源とすることが偲ばれる。すなわち「四畳半フォーク」にひたれるほど貧乏ではなく、「ニューミュージック」ほどオシャレに現実適応もできないナイーブな若者たちの心象代弁表現として、井上陽水やイルカに近いところから分岐したわけだ。
 彼女のデビュー曲「お早うございますの帽子屋さん」のタイトルは、実はギョーカイ挨拶用語の「お早うございます」から来ているのだという。このあたりの感性からも垣間みえる、諧謔の混じった楽屋オチ的な図太さは70年代後記〜80年代前半に活躍した原新人類=原おたく的な文化リーダーが総じて持つ特徴でもあると言えよう。実際、谷山は漫画・アニメのイメージ・アルバムや劇伴制作およびジュヴナイル小説やゲーム・エッセイの執筆など、音楽プロパー以外の諸メディアにも深く関わり、第一世代おたくに強固な支持層を獲得していく。そうしたオタク市場との親和性の高い存在様式は、「幻想浮遊系」ミュージシャンのひとつの原型として後に受け継がれていくことになる。
 一方、旧来の大衆的な歌謡曲の文脈における「幻想浮遊系」的なるものの浮上として挙げておきたいのが、「異邦人」の一発ヒットで懐メロ歌手としてよく振り返られる久保田早紀である。旧来の歌謡曲とJ-POPの過渡的形態ともいえる、歌曲を自作自演する「シンガーソングライター」というスタイルでのニューミュージックが全盛だった当時、「異邦人」を含むデビューアルバム『夢がたり』は、シルクロードを旅する詞世界の趣向や、ポルトガルの民俗音楽ファドの要素など、日本とアメリカの味しかしないそれまでの流行歌とはまったく異なる、異国情緒あふれるコンセプチュアルな作品であった。
 とはいえ、あくまで詞の世界観の想像力は「エキゾチシズム」の範囲に留まり、恋に破れたり惑ったりする孤独な女の彷徨という物語性もまだ歌謡曲的・演歌的で、のちの「幻想浮遊系」アーディストたちのようなオリジナルな世界創作性に欠けているし、創り手・聴き手双方の具体的な影響関係はおそらく皆無である。ただし繊細で透明感のある声質とアルバムのフィクショナルな統一感や、ワールドミュージック的な要素の積極的な導入などは、谷山浩子以上に「幻想浮遊系」的な要素が強い。
 その後はヒットが続かず、数多いる「ヒットに呑まれた一発屋スター」の構図で商業音楽シーンから消えざるをえなかった彼女だが、ロック・ポップス革命(=邦楽総J-POP化)がまだ浸透せず、歌謡界の全面的な多様化・ボーダーレス化がまだ過渡にある段階での早すぎた「幻想浮遊系」の先駆として、ここでは位置づけておきたい。