暁のかたる・しす

文筆家/編集者・中川大地のはてなダイアリー移行ブログです。

<1>1986〜1990年 冷戦エアポケット下の様々なる意匠〜空想的な情景創作スタイルの模索と確立〜

 1986年というタイミングは、70年代後半から顕著に始まった高度消費社会化・情報化の波がひと巡りし、少なくともある程度以上都市化された情報環境に暮らす人々のライフスタイルや価値観の順応がさしあたり完了していたおり。ユーミンYMOBOOWYといったリーダー的アーティストやロック/ニューミュージック系人脈の音楽人たちに仕掛けられたニューアイドル群が旧来の歌謡界をすっかり模様替えさせ、カラフルな「80年代」がいよいよ爛熟してくると、もはや世代や趣味の垣根を越えて国民的関心を喚起できるポピュラー音楽シーンというものは存在しえなくなってくる。かくして時代遅れになって「ひょうきんベストテン」でギャグにされつくした各局ベストテン番組は相次いで終了、後は微細に「分衆」化した受け手の趣味・人格類型に応じてさらに多様な「自己表現」の差異を高度化していくしかない。
 そんな時代前提を負った「個性派」アーティストたちの一人として、この年、東芝EMIからZABADAKが、ビクターから新居昭乃が、デビューを果たす。
 PROJECT.K名義でライブハウス中心に活動しながらCM音楽等でメロディメーカーとして頭角をあらわし、まだCDの普及しきっていなかった86年中にミニアルバム『ZABADAK-I』をもって命名となったZABADAKの初期メンバーは、吉良知彦上野洋子と詩人の松田克志東芝EMI時代の初期に脱退)の三人。つづく87年にはミニアルバム『銀の三角』、およびミニアルバム2枚の収録曲をまとめCD化した『WATER GARDEN』、さらに初のフルアルバム『WELCOME TO ZABADAK』を立て続けにリリースする。日本歌謡的な湿度やアメリカンポップ的な単純明快さとはまるでかけ離れた、英国プログレッシブロックの影響色濃い彼岸的・文明批評的な楽曲世界は、マニアックな洋楽ファンなどに注目されつつあった。
 他方、新居昭乃の86年のデビュー曲は藤川桂介原作・いのまたむつみキャラクターデザインの長編ファンタジーOVAウィンダリア』の主題歌・挿入歌「約束」「美しい星」。OVAというメディアは、まさに『宇宙戦艦ヤマト』以来の一体感あるカルチャームーブメントとしての最初のアニメブームが収束し、ファンの市場がタコツボ化しはじめたこの時代のアニメシーンの特徴的なメディアといえる。アニソンと一般ポップスの間に音楽形式上の差異がなくなって久しく、OVAの版元でもあるレコード会社が新人や中堅以下の所属歌手にアニメの主題歌を担当させる売り出し方が当たり前になってきていた中での凡庸な一例だったが、当時はまだ珍しかった最初期の「和製ファンタジー」世界を彩ってみせた意味は決して小さくなかった。2曲を収録したデビューアルバム『懐かしい未来』のリリース以降、ソロアーティストとしての活動は長期にわたって途絶えるが、種ともこPSY・Sといった他アーティストのコーラスや楽曲提供などを手がける裏方ミュージシャンとして実力を発揮していく中で、その後も世界観の立ったファンタジーやSF系のアニメ作品の歌曲を数多く手がけていくことになるのである。

 そして翌87年には、TM NETWORK渡辺美里小比類巻かほるらの登場によって、不良性・反社会性を脱色しつつ、決して能天気なアイドルソングではないサウンドクオリティを持つ、「普通の若者」の心性を応援し素直に聴けるポピュラーロック路線を確立して飛ぶ鳥を落とす勢いにあったEPICソニーから、遊佐未森鈴木祥子が相次いでメジャーデビューする。
 同期で歳も一つ違いの遊佐と鈴木は仲が良かったが、両者の88年のデビューアルバムはともにまだプロデュース側がそれぞれの音楽性を見出しきれていない方向性模索傾向のもの。国立音大を卒業し、87年までに芽が出なければ田舎に帰る覚悟で音楽出版各方面にデモテープを送ったことがデビュー契機となった遊佐の『瞳水晶』は、遊佐の声という共通素材を、複数の楽曲提供者がそれぞれタイプの異なる詞曲世界で料理し一同に集めた競作集といった趣だ。
 対し、もともと原田真二ビートニクス、小泉今日子といったメインストリームのアーティストやアイドルのバックミュージシャンとしての下積みを経てデビューした鈴木の『VIRIDIAN』収録の多くの曲は、きわめて80年代中盤的な「明るく元気なガールポップ歌手」の典型イメージを踏まされている。そうした曲群のなか、後の展開に鑑みるとデビュー曲「夏はどこへ行った」のような対象を一歩離れた視点で静かに叙景しつつ物想いに耽る繊細な詞曲が「幻想浮遊系」としての彼女の作風の核として受け継がれていったと言えるだろう。

 幻想浮遊系アーティストとしての遊佐未森のイメージをほぼ決定づけたのが、89年発売のセカンドアルバム『空耳の丘』だ。当時アーノルド・シュワルツェネッガーが出演した日清カップヌードルのCM曲として現在に至るまで彼女の最も一般によく知られる曲でもある「地図をください」を含むこのアルバムは、ファーストの楽曲制作者のひとり外間隆史の全面的なプロデュースにより、「ぼく」を主語にするライトファンタジー的な詞、英国プログレを聞きやすくしたような軽快かつ温和な打ち込み主体の曲、ブックレットに創作短編童話を載せた特殊装幀等、きわめて周到な統一感によって造りこまれたものだった。
 同じく89年、MMGに移籍後第一弾のアルバムとして出たZABADAKの『飛行夢(そらとぶゆめ)』は、比較的暖かみのあるメロディラインや視覚的なイメージが湧きやすい詞等で、冷たい透明感をもつ上野洋子のハイトーンボイスが徐々にエモーショナルなポップ感を獲得してきたために相対的に遊佐未森の傾向に近づき、出自的には異なる両者のファンが明確に重なりはじめてきた作品と言える。
 鈴木祥子はセカンド『水の冠』を経て90年の『風の扉』になると、気丈なビート・サウンドは陰をひそめてスローバラードに乗せてリリカルな心象風景を静かに歌い上げるスタイルが定着してくる。その収録曲の中で遊佐未森がコーラスをつとめているが、このアルバムのパッケージもタイトル字体や写真の撮り方等、非常に遊佐の『空耳の丘』や同傾向のサードアルバム『ハルモニオデオン』に酷似しており、プロデュース側が両者を同系統のアーティストとして売り出そうとしていたであろうことがうかがえる。

 この時期の各アーティストの曲群の中で特徴的なのは、チェルノブイリ事故等での地球環境問題への関心や、湾岸戦争勃発を受けての終末感が高まっていたおりであったため、そうした大問題を憂う楽曲が目立ったことである。比較的ガールポップ傾向の強かった新居の「美しい星」や鈴木の「愛はいつも」はそうした主題をかなり大上段に感傷的に、遊佐の「旅人」やZABADAKの「GOOD BYE EARTH」は静かに叙景的に歌われていたが、こうした問題意識へのコミットがファンタジーになってしまう状況には、まさにこの時代のこの国の、あまり当事者的切迫感のない擬似社会派的な雰囲気の訪れを見出すことができるのかもしれない。