暁のかたる・しす

文筆家/編集者・中川大地のはてなダイアリー移行ブログです。

評論「『幻想浮遊系』ポップの時代」全長版

23日のマコロン3(http://www.sengoku-kubo.com/cgi-bin/calendar/schedule.cgi?form=2&year=2006&mon=12&day=23)参考用に、『PLANETS 01』に寄稿した「幻想浮遊系」についてのテキストを再掲しときます。誌面掲載できなかった全長版です。

幻想浮遊系」ポップの時代
〜「虚構の時代」を彩った知られざるオタク系音楽の裏J-POP史〜

 遊佐未森ZABADAK鈴木祥子新居昭乃……。
 アニメブームが一段落して宮崎駿が国民監督への道を上りはじめたり、『ドラクエ』のヒット以降RPGが一般の人々の間に急速に裾野を拡げて、「ファンタジー」なるものがかつてない規模で一般の日本人の間に定着しはじめていた1980年代後半、軌を一にしてデビューしたアーティストたちである。
 以来、消費サイクルの激しいJ-POP界の片隅で20年近く、細々とだが熱心なファンに支持されつづけて現役で活動している彼女たちの楽曲は、もっぱら「妖精ボイス」などと形容される極度のハイトーンやニュアンスに富んだハスキーな声音を駆使し、ほとんどのポップスやロックの主題である「恋愛」や「自己実現への応援」や「社会への反抗」といった日常の生活現実に密着した生の感情とはひとまずかけ離れた、独自のファンタジックな創作情景を歌い描く作風を(少なくともデビューからのしばらくの期間に関しては)特徴としてきた。そのファン層もまた、メジャーな大衆音楽ファンとも、マニアックなサブカル系のマイナー音楽ファンともいささかズレた、アニメやゲーム、さらに少女漫画や児童文学や古本屋めぐりを嗜好する文化系オタク層に近い。ただし、「オタクの聴く音楽」カテゴリーとして90年代に大きく勃興した声優アイドルやアニメソング系のマーケットともあまり重ならず、むしろ民族音楽プログレッシブロックに近いスノッブでハイエンドな音楽ファンからの支持も集めているため、その位置づけはますます要約しがたいところがある。
 そのため、これまで日本のロック史・ポップス史・歌謡曲史いずれの枠組みにもまともに記載されることがなく、やや揶揄的に「癒し系」「ファンタジー系」「オタク系」などと漠然と括られることはあったが、過不足ないニュートラルなカテゴライズは依然として定着せず、彼女らの音楽はカルチャーシーンからは一切顧みられることがなかったと言える。だが、そのマージナルな立ち位置からは、現代文化への知的関心の強い人々の間で昨今しきりに論じられている「サブカル」と「オタク」の、「ネタ」と「ベタ」の、そして「現実」と「虚構」の狭間で緊張を強いられている過渡期の世代としての「オタク第二世代」的な心性の表象と、そこから普遍的な生き様を模索する可能性のヒントとしても、実は多くの示唆が読みとれるだけの内実を秘めたジャンルであると、筆者などは考えている。
 そこで、その考察の第一歩として、まず彼女らの詞曲と声音の傾向を正確にとらえつつ、「ああ、ああいう人たちのことか」と一聴してイメージできる呼び名として「幻想浮遊系」の語を提案したい。等身大サイズの関心をライトファンタジー的に歌う遊佐未森プログレ的な感性から民族音楽的ルーツにまで遡り高踏的なハイファンタジーのテイストをもつZABADAK(やそこから「のれん分け」した上野洋子)、あくまで生々しい心情や現実の対象化の仕方が幻想的・浮遊的に聴かれていた鈴木祥子、そして「和製ファンタジー」のアニメ化の歴史において欠かせない歌い手である新居昭乃
 本稿では、この4人を「幻想浮遊系」カテゴリーのコア・アーティストと規定し、彼女らの初期から現在に至るまでの音楽性を概観する。なかなかとらえづらかったその時代性との関係が浮かびあがり、「もうひとつのJ-POP史」が見えてくるはずだ。