暁のかたる・しす

文筆家/編集者・中川大地のはてなダイアリー移行ブログです。

【仕事告知】森ガールについて書きました&反響について

昨年7月のエントリ以来、どうにも気になる存在になってしまった森ガールについて、2月24日配信のメルマガ「週刊ビジスタニュース」に論考を書かせていただきましたが、このほど同誌の公式ブログにて公開されています。

「森ガール」にできること〜「少女」から「女子」への変遷の中で 

先にtwitterの方でも告知させてもらったところ、やはりあのコたちは皆さんにとっても気になって気になって仕方のない存在だったようで(^^)、ずいぶん反響をいただきました。ありがとうございます。
まあ執筆準備時点から、担当編集氏に「どう転んでも誰かしらに不満を持たれるテーマだから、中央突破で一緒に火だるまになりましょう!」なんて発破をかけられながら書いただけあって、案の定、とりわけ同業界の玄人女子筋からのキビシイ意見も見受けられました。あくまで外側からの先行言説の座学をベースにしての描像整理なので、当事者的な実感とはどうしてもズレてしまうのは避けられなかったようです。
特に、補助線にしたオリーブ少女についての理解は、執筆後にParsley氏による↓のような、より当事者感のつよい優れた考察を見つけて、ちと調査不足だったなあと頭を抱えたりしてました。

「森ガール」はオリーブの夢を見るか
文化系女子研究所(2) はじまりの「オリーブ少女」
文化系女子研究所(3) 森ガールは草を食んでおしまい?

つまり、どちらかというと、まだリセエンヌ路線になったばかりで少女性が素朴だった80年代後半的なオリーブ少女のイメージで捉えてしまっていた僕の論考に対して、90年代のオリーブ少女は、より女子自身のダンディズムを追求するカルチャーとして能動的で強固だったといたという見方ですね。
それから、00年代後半の女性ファッション全体の流れの中から、「異性ウケ・同性ウケ」という視点でさらに解像度の高い整理をしてるdale氏の↓も秀逸です。

森ガールが盛りアガールまでのトレンドの流れ

ここで触れられている「森ガールは異性重視で、隙のある雰囲気が男性を惹きつける(狡猾だよ派)」「いやいや。森ガールはセクシーとは縁がないほっこりスタイル だよ(天然だよ派)」という見方の幅について、「少女」の概念の消長に焦点を当てた僕の論考では後者の側をクローズアップせざるをえなかった点も、「わかってない」という印象を与えてしまった一因かもしれません。


というように、我ながら事実ベースの理解や解釈では至らなかったところもあると多々感じているんですが、ひとつtwitter上の反応で解いておかなきゃいけないなと思ったのは、「男のライターが森ガールとかオリーブ少女とかを語るときのズレ方って、男の性欲に適合するのが成熟した「女」のあり方で、そこから外れている女たちは「病んでいる」という女性観にあるのかも」という誤解です。
おそらく僕の論考のむすびで、「性や労働や加齢といったノイジーな現実をもエレガントに繰り込み、人生をよりハッピーに彩る一生モノのスタイルの母体として、森ガール・カルチャーはさらに素敵にしていけるはず」というかたちでお節介な期待をかけたことがカンに障って、モラトリアムとしての少女性を否定し男社会に適応せよという理解になったんだと思うんですが、そうではありません。
僕が「病んでいる」と思っているのは当然、いまだに女性がアンバランスな負担を強いられ、その過度のストレスが「少女」という<適応>的・避難所的な限定期間を生まざるをえなかった(過渡期の)近代社会の方です。それが先人たちの努力やら景気変動の不作為やらのおかげで、必ずしも男性に依存しなくてもいい「無頼化」が進行し、年齢に限定されない「女子」として、以前よりは幾分かは存在しやすくなった成熟期近代の価値観フェーズの変化は、文明の<本来>化への漸近として歓迎すべきことだと思ってます。
なのでこの先もどんどん、性も労働も加齢も今ほどストレスフルにならない、女子も男子も安心して無頼化できる社会にして、それこそ人類が始原の「森」、つまりアフリカの熱帯雨林の狩猟採集バンドで普通に実現していたレベルの男女の対称性を回復できるトランスモダンな文明スタイルを目指そうぜ、てのが僕の最も根本的な立場です。だからその意味では、森ガールに対する希望としてでなく、「俺たちも、そうできる環境を作るためにがんばるから」という一言を加えるべきかどうか、最後まで迷ったりしてたんですけどね(かえってクドいしキモくなりそうなのでやめたんですが。つか、そんなのは言うまでもない前提だと思ってたし…)。

まあ、そんな文明論レベルの長期目標はともかく、現状の森ガールについて肯定的に思うのは、上記のdale氏の観測にもあるように決して異性との恋愛や性的関係について、ちゃんと自分を大切にしながら草食系男子とのパートナーシップを求めていくという恋愛巧者としての側面がある(らしい)ということですね。この点、しばしばベタな男尊女卑的価値観に従属的だったりDV受容的だったりしやすいとされるヤンキー女子とかの異性関係の傾向より、全然健康だと思う。かと言って、肩肘張ってカツマー的な自立とかジェンダーフリーとかに行くわけでもない自然体な感じは、自分が女子だったらぜひ選びたいスタイルなのは間違いないですよ。mixiの「*森ガール*」コミュの恋愛系のトピック見てても、あー俺もこういう恋したいなーと思うものw

とりあえず、論考に盛り込み損ねたことの補足としては、こんなところでしょうか。

【勝負仕事告知4】『クリティカル・ゼロ』予約開始しました

『クリティカル・ゼロ コードギアス 反逆のルルーシュ』版元の樹想社の通販サイトがようやくアップされました!
http://www.kisousha.co.jp/geass/

通販限定のオリジナルステッカーのデザインもアップされています。銀行振り込みのみなので、手間はかかってしまいますが、表紙の星野秀輝さん作成の3DCG版「ゼロの仮面」や、アニメでカレンが写真立てに使っていた「ウサギのシール」などがありますので、ぜひ吟味のうえご利用下さい。このへん、じつは本誌に掲載されているオリジナルフォトメモリアルと何気にリンクした趣向なんですよね。

なお、下記ニュースサイト「おた☆スケ」でも告知記事を出していただいております。大変ありがとうございましたm(_ _)m
http://www.ota-suke.jp/news/34908

ここで知ったのですが、すでにアマゾンでも予約開始していますね。ステッカーがいらない方wはこちらから…!
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877770933/otasukejp-22/ref=nosim

発売日12/4となっていますが、あくまでこれは取次各社への配本日なので、実際お手元に届くにはもうすこしかかります。
特に地方の方とかは、どの書店で取り扱っているのか気にかかるところだと思いますが、そこまでは取次各社の判断なので、こちらではわかりませんでした、すみません。
というわけで大書店がない方は、恐れ入りますが上記通販ルートをご利用くださいませ!

【勝負仕事告知3】全力のコードギアス批評本『クリティカル・ゼロ』

『思想地図 vol.4』、おかげをもちまして正式発売前の増刷となりました! ありがとうございます。
そして! ほぼ同時期に並行して作っておりました、『コードギアス 反逆のルルーシュ』の徹底批評本が、ようやく12/8に発売確定となりました。

CRITICAL ZERO クリティカル・ゼロ 〜コードギアス 反逆のルルーシュ
中川大地/編

全力批評する、“ゼロ”年代への葬送曲レクイエム

1970年代―――『宇宙戦艦ヤマト』。
1980年代―――『機動戦士ガンダム』。
1990年代―――『新世紀エヴァンゲリオン』。
では、2000年代を代表するオリジナルTVアニメとは…?


仮面の英雄「ゼロ」をめぐる衝撃の展開で、
ゼロ年代」最大のクリティカル・アニメとなった
コードギアス 反逆のルルーシュ』。
はたして「ゼロ・レクイエム」とは、いったい何だったのか―――!?


『ギアス』ファン必携の永久保存版オリジナル・コンテンツと、
2010年代の想像力を展望する最先端のアニメ批評がハイブリッド。
島宇宙の垣根を越えて、<物語>の力を再生させる、
全方位志向のコンセプチュアル・ムックがここに登場!


発売日:2009年12月8日
☆12/5開催のイベント「コードギアス 反逆のルルーシュ キセキの誕生日」にて先行発売!
価格:2,520円(税込) B5変型版186ページ 
発行:樹想社 発売:銀河出版


<Contents>

【オリジナルフォトメモリアル】Masked Men's History, Naked Memory
 ふたつの記憶―――生徒会アルバムのゼロとルルーシュ
生徒会メンバー、カレン、リヴァル、ジノの3人が、
ゼロとルルーシュの軌跡をつづる秘密のアルバムを編纂!?
新規描きおろしショットを含む、劇中登場の「写真」を集めた
永久保存版フォト・イラストストーリー
報道映像とスナップでたどる、反逆の“真実”とは?
仮面の歴史と素顔の想い出。ふたつの記憶がいま蘇る!


【Part.1】ALL STAGE & TURN CRITIQUE オール ステージ&ターン クリティー
あのシーンには、こんな意味や伏線が隠されていた……?
『反逆のルルーシュ』『R2』全50話の物語を、各6編ずつに分け、
8つのドラマツルギー(作劇術)チェックと5つのミニコラムで鋭く解析。
普通のアニメムックとは一味ちがう、目から鱗の最濃批評集!
キャラクター・メカ造形、世界観から、お色気、腐女子、脱力ネタなど、
硬軟あらゆる切り口から、気鋭のライター陣が徹底的に語り尽くす!!


■1st
 STAGE 1〜4 『コードギアス』の物語の基本構造を提示する序章
 STAGE 5〜8 群像劇として駆動しはじめる「黒の騎士団登場」編
 STAGE 9〜12 大規模な会戦が盛り上がる「ナリタ攻防戦」編
 STAGE 13〜16 恋人たちのドラマが激しく動く「マオとの対決」編
 STAGE 17〜20 スザクの葛藤に焦点が当たる「ユフィの騎士」編
 STAGE 21〜25 驚愕の運命が襲う「ブラック・リベリオン」の顛末
■R2
 TURN 1〜4 第1期を反復・変奏する構造が示された『R2』序章
 TURN 5〜8 ユフィの悲劇を乗り越える「ナナリー総督就任」編
 TURN 9〜11 逆転に次ぐ逆転劇が展開する「中華連邦攻略」編
 TURN 12〜15 日常の終焉を告げる「シャーリーとギアス嚮団」編
 TURN 16〜21 ついに父の帝国が打倒される「ブリタニア転覆」編
 TURN 22〜24 衝撃の最終決戦と「ゼロ・レクイエム」への道筋


【Part.2】AGE OF "ZERO" 『コードギアス』が映した時代
2000年代後半を席巻したアニメ『コードギアス』は、なぜ凄かったのか?
批評・思想界を先導する若手論客たちによる、4本の評論と鼎談を通じて考察。
そして本作の生みの親たちと特別ゲストとの、2組の夢の特別対談を収録!
これを読まずして、ゼロ年代は総括できない!!


■特別対談1 新時代のストーリーテリングとは?
 大河内一楼(『コードギアス』脚本)×竜騎士07(『ひぐらしのなく頃に』)


■特別対談2 『コードギアス』の真価と日本アニメの未来
 谷口悟朗(『コードギアス』監督)×宮台真司社会学者・評論家)


■鼎談 『コードギアス』はいかにゼロ年代を葬送したか
 宇野常寛サブカルチャー批評)×荻上チキ(メディア論)×橋本努(経済社会学


■評論
 『コードギアス』のハイブリッド性――日本型テレビアニメ表現の到達した地点/宇野常寛
 反逆の現在――新しい“カウンターカルチャー”の登場/成馬零一
 ピカレスク物語の系譜とルルーシュ/葦原骸吉
 ゼロ・レクイエムの神話学――「システム」と「身体」をめぐる寓話として/中川大地


©SUNRISE/PROJECT GEASS・MBS Character Design ©2006-2008 CLAMP

公式サイトの公開までもうちょっとかかってしまいますので、まずは第一報です。版元での通販限定特典として、本誌オリジナルのステッカーが付きますので、『コードギアス』ファンの方はお楽しみに!

そして、ゼロ年代の批評・思想ファンには一見しておわかりのように、本誌は批評家・宇野常寛主宰のサブカルチャー総合ミニコミ『PLANETS』の事実上のスピンオフに近い陣容で作りました。サンライズ公式のコンテンツも含みながら、批評誌としてのエッジをいささかも鈍らせないクリティカルなコンセプト性で、アニメムックとしては革命的な書籍に仕上がったのではないかと自負しています。
こうした出版企画を通していただけたサンライズの担当部署には改めて敬意を表するとともに、やり方しだいでアニメも批評も時代的な閉塞感などいつでも突破できるのだという希望のマニフェストとして、本書を世に問わせていただくしだいです。

本書の編集にあたっては、批評や思想になじみのない中高生を中心とする普通のアニメファンから、論壇での現代コンテンツとアーキテクチャをめぐる最先端の議論を熟知している百戦錬磨の知的読者に至るまで、この1冊を順を追って読み進めていけばほぼ文脈を共有して同じ土俵で対話ができるようになる構成を心がけました。
なので、『思想地図 vol.4』などの論考についていけなかった人にとっては入門書的にも機能するでしょうし、そして同誌でのアニメ座談会や「政治性」をめぐる議論、さらには東浩紀氏の提唱する「民主主義2.0」に呼応してそれらを別の角度から考えている論考もあり、さらなる「先」の展望も密かに含まれていたりします。『思想地図 vol.4』をお読みになった方には、ある意味で姉妹編として読んでもらえれば、より2010年代に向けた知の状況がクリアになり、血肉にできるレートが高まっていくんじゃないかと思います。

加えて言えば、中川にとっては単独編者として名義をクレジットさせていただく初めての本となりました。
ぜひその手にとって、真価をお確かめください!!

特別掲載

父として考える/東浩紀宮台真司

特集の緊張感と一転、思わず頬が緩まずにいられない非常にハッピーな対談。しかし内容は本質的で、『東京から考える』の問題意識を突き詰めた、地に足ついた分析と提言が素晴らしい。そして実は、ここでの視点は宮崎座談会の結論に接続しての、あるべき「公共性」の像を具体的に考えたものでもあります。子を持ち育てる勇気が湧いてくる、希望への想像力に満ちた、いわば特集の「発展編」。

「生命化するトランスモダン」への助走――「環境」と「生命」の思想戦史/中川大地

こうしたどえらい流れの最後に、畏れ多くも置かれてしまった拙稿。ひたすら恐縮ながら、自分なりにここまでの多くの論点を包摂し(もちろん執筆時に本書の他のコンテンツを知っていたわけではないので、あくまでも提起されるはずの価値観を予想して)、ある種のアンサーを試みるボーナストラック的に機能するよう、心がけたつもりでした。
つまり、仲正〜黒瀬論考までで提起された日本特殊性論のクリシェたる「悪い場所」としての屈託を過去のものとする認識を引き取り、斎藤論考における想像界や身体の階層性を仮構する理論構成に対応し、アニメ座談会〜宇野論考までの時代認識と批判的市場主義としてのハイブリッド化戦略を踏襲し、宮崎座談会・子育て対談におけるM2コンビのおかげで浮き彫りにされた<生活世界>に立脚するゾーエー的な公共性を指向する思想として、90〜ゼロ年代中沢新一が追求していたように、日本にはもともと生命主義的な基盤がある。それを現代の生命科学や情報技術の水準でアップデートするのが、思想史的には最も王道なはずだというオイシイ主張をしているのが、実はこの論文です(笑)。
さて、成否のほどはいかに……。

というわけで、まだお持ちでない方は、ぜひポチッと!

NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力

NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力

特集・想像力

日本的想像力と成熟/中沢新一インタビュー(聞き手・東浩紀白井聡

イントロダクションを飾る純思想的な「総論編」。特集全体の「想像力」の幅の広さと深さを示す、巻頭に相応しい歴史的座談。浅田彰柄谷行人の『批評空間』ラインを出自に持つ東浩紀以下の『思想地図』が、おそらくある時期からの「現代思想」に距離を置いてきただろう中沢新一を迎えたというあたり、ニューアカ以降の現代思想史を知る人には感慨深いんじゃないでしょうか。文明論的な射程で、今号全体を通じて問われる日本的な思想文化の根源についての話題を最も大きいスケールから示しています。中川も、実は見学させていただいておりました。個人的に「動物化」vs「対称性人類学」をめぐる対話や、ソーカル事件の受け止めがアツかった。

一〇年代にむけて中沢新一を読むためのブックガイド/中川大地

上記の歴史的意義に感応し、これは俺がやらねば! と意気込んでしまったのを拾っていただいた記事。インタビューの補足的な記事なのでコメントはしませんが、冒頭の文に校正漏れがあったので訂正を。。正しくは「もしかすると本誌読者の中には、中沢新一の名にアクチュアルな現代思想家としてのイメージを抱くことが、難しい【人もいる】かもしれない。」です。

「構成」の想像力――建国神話の生み出す政治文化/仲正昌樹

「政治編」。アメリカの政権樹立時に繰り返される「建国/創設」の物語の共有という社会契約的な公共性の仕組みを検討し、そうした政治哲学が成立しない日本の歴史条件を確認する論考。全体のラインナップからするとちょっと浮いて見えますが、実は、のちの論考や座談での「悪い場所」や「政治性」をめぐる論点を提起する伏線になっています。

アート不在の国のスーパーフラット村上隆インタビュー(聞き手・東浩紀黒瀬陽平

「美術編」。仲正論考にあるように日本に欧米的な政治的公共性が根づかないのと同じ意味で、日本では「アート」がほとんど成立しない(つまり椹木野衣の言う「悪い場所」である)。それを百も承知で、ある面では資本主義のゲームと割り切りながらも、それでもなぜ村上隆が日本でアートを行おうとするのかを、粘り強く問う真摯なインタビュー。

新しい「風景」の誕生 セカイ系物語と情念定型/黒瀬陽平

アニメにおけるセカイ系作品の具体的な表現構造の分析に始まって、それを椹木野衣の言説分析に適用し、ついには日本の諸分野の言説を呪縛している「悪い場所」という物語の脱神話化に至る点が白眉。「偽史」が新たな風景を生み、そこから従来とは異なる物語を駆動することを歓迎する論調は、12/2配信予定の「ビジスタニュース」に書いた僕のお台場ガンダム論とも通じていて驚いた。構成的には、「美術編」と「アニメ編」を架橋する稿になっている。

ラメラスケイプ、あるいは「身体」の消失/斎藤環

サマーウォーズ』や中上健次村上春樹における「身体性」描写の衰退と「キャラクター」前景化のトレードオフ関係の分析を通じて、断片の重層(ラメラスケイプ)たる新しい現実感を提示する文学論。ラカンが手薄にしていた想像界の多層性への認識をその理論的基盤にしているあたりが、超参考になった。つまり、各種コンテンツジャンルにおける「キャラクター」とは何かという原理的考察を、精神分析学の立場から行っているのが、この論考なわけです。そして特集内では「アニメ編」と「文学編」を架橋する役割も。

座談会・物語とアニメーションの未来/東浩紀宇野常寛黒瀬陽平+氷川竜介+山本寛

「アニメ編」。まさに「アニメ誌が書けないアニメ批評」。『ヱヴァ破』『サマーウォーズ』『東のエデン』といった09年の話題作へのクリティカルな評価から的確に状況を整理、そこで日本における「政治性」の在り方がアニメの物語を困難にしている現状が炙り出されてくる点が、この座談会の面白いところ。

キャラクターは越境する?[二つの創作に寄せて]/宇野常寛

「文学編」の前振りと幕間にふさわしい、つづく2編の「キャラクター小説」の解題。斎藤環さんのラメラスケイプ論考を踏まえて読むと、モデルケースとしてすごく腑に落ちる構成が見事。

イッツ・オンリー・ア・ビッチ/阿部和重

『キャラクターズ』『ハルヒ』『ディケイド』のパロディ要素はわかった。他にもありそうだけれどどうだろう。

エスパーニャの神/鹿島田真希

戦国BASARA』BLとキリスト教モチーフを結合させた、多分セルフパロディ的な実験作。鹿島田作品未読ながら、『PLANETS vol.2』のインタビューでバックグラウンドがわかっていたので、いろいろニヤニヤできた。

座談会・村上春樹ミニマリズムの時代/東浩紀宇野常寛福嶋亮大+前田累

「文学編」。『1Q84』が期待はずれだったという話から村上春樹史を遡行する中で、セカイ系から遠景となる起源的な「偽史」さえ消失し、近景だけに閉塞する「ミニマリズム」という時代の条件が明らかになる。黒瀬論文を伏線として読むと、より納得が深まります。

ポスト・ゼロ年代の想像力――ハイブリッド化と祝祭モデルについて/宇野常寛

ここまで各分野のインタビュー・座談会を通じて見えてきた日本的想像力の共通の動向を俯瞰・総合し、その中から批判的市場主義として抜け出しつつあるハイブリッド化=祝祭モデル=民主主義2.0に期待をかける。ここまでの座談会でのコンセンサスをまとめ、未来に向けた特集のひとまずの結論をなす堂々の「総括編」。いわば「コンテンツ派」のマニフェストか。

座談会・変容する「政治性」のゆくえ 郊外・メディア・知識人/東浩紀宇野常寛速水健朗宮崎哲弥

「政治編2」にして「総括編2」。特集で想像力=表象の分析から見えてきた、欧米とは違う現代日本の制約条件下での「政治性」を、いかに大衆に届かせ現実を変える力にするか。今までの『思想地図』パラダイムのコンセンサスの外にいる、宮崎哲弥氏の忌憚ない立場との対峙が刺激的。従来のようなアレント的な「公(ビオス)」と「私(ゾーエー)」の対立の中で前者に価値を置く伝統近代的な「公共性」観ではなく、むしろ「私」の基盤を下支えする基底的価値として日本の場合の公共性を再定義するラストの合意は、激しく納得。

【勝負仕事告知2】私設『思想地図 vol.4』全記事ガイドコメンタリ

ちびちび読み進めていた『思想地図 vol.4』、ようやく読了。頭から順番に全部読んで、各記事の並びが予想以上に緊密な連関性を醸し出していて、慄然とする。まさに全体を通じて、断片同士がかけ合わさって、全体で一遍のハイブリッドな物語になっているかのよう。こりゃすごいや。バトンの受け渡し感・視点の複線化感が、これまでの号以上に強い気がします。編集者脳がビリビリ刺激されまくりの読後感にまかせて、全記事の流れを意識してコメンタリーしたい欲望がムクムクと。もう書店に並んでるようなので、これから読む人向けのガイドに、11/26にツイッターでつぶやいたものに加筆してまとめてみました。

【勝負仕事告知1】『思想地図 vol.4』に論文&中沢新一ガイド掲載!

ゼロ年代と呼ばれた2000年代も、あと1ヵ月というどん詰まり。いろいろととっちらかった回り道ばかりの10年間でしたが、ようやく滑り込みでセーフというべきか、物書きとして世間様にこれだけは問うておかなければという、自分の世界観の中核をまとめる仕事をさせていただくことができました。

11月28日ごろから店頭にならぶ『思想地図 vol.4/特集・想像力』にて、『「生命化するトランスモダン」への助走――「環境」と「生命」の思想戦史』と題した拙論が掲載されます。今年の夏、『機動戦士ガンダム』30周年記念+東京都の環境イベントとして実現したお台場1/1ガンダム立像が何を意味していたのかの評価を話のマクラに、大正生命主義以来の戦前からの思想史や、複雑系・情報生命論系の自然科学のパラダイム転換を追いながら、2010年代からの日本思想にいかに「生命」と「環境」に根ざした普遍の層を復権するための理論的枠組みを、脳生理学/情報環境学の研究者にして芸能山城組組頭でもある大橋力(山城祥二)らの研究に依拠して提示してみせるという、浅学非才を顧みないナントモ無謀な試みです…。

インターネット・アーキテクチャの浸透と島宇宙化が徹底したメディア・コンテンツの流通に彩られるグローバル資本主義万能の世にあっては、ほとんど「トンデモ疑似科学」「ニューエイジの亡霊」的な嫌疑を避けることはできない主題に取り組んだ、これまでの『思想地図』誌に掲載されたあらゆる論の中で、間違いなく最も異端に類するものでしょう(笑)。
はたしてそれが、皆さんの生活実感的なリアリティに即して、どれだけの説得力を持ちうることか。
その成否のほどを、ぜひ誌面にてご確認いただけましたら、幸いです。

NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力

NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力

それから、「特別掲載」扱いで本誌末尾に掲載される本稿とリンクして、本誌のいちばん冒頭に掲載される中沢新一氏のインタビューの付随企画「一〇年代に中沢新一を読むためのブックガイド」の原稿も書かせていただきました。
思想が根源的な想像力を模索するというよりも、いま・ここにある社会体制を不可避の前提としていかに現状への適応やメンテナンスを工夫するかという社会学的・心理学的知ばかりに流れていった90〜00年代にあって、ひとり中沢新一だけが人類学的・考古学的知を深化させていった過程を追いながら現代思想のメインストリームの文脈に再接続しつつ、それが来たるべき10年代の知的態度のベースとなるべき必然を論じています。
もちろん、その僕のアングルからの評価の仕方には少なからず不適切な面があろうことは承知ながら、例えば浅田彰氏などと純粋に著作の数だけを比べてみても、現役の思想家としてどちらが旺盛で同時代的な展開に満ちていたかは、言わずもがなだと思うんですよね。
そういう、むしろ80年代ニューアカの色眼鏡を引きずっている古い思想読者こそが見失いがちな事実性について、きわめて無作法な抉り出しを試みたりもしました。どうかご笑覧ください。


……ともあれ、各界を代表する新旧多士済々な論者が結集した今回の号で、ひとり無名の木っ端ライター風情が鼻息だけでデビューさせていただけたことには、本当に恐縮しきりです。
 ちなみに誌面に取りあげていただいた経緯としては、2年前の本誌創刊号の論文公募で、編集委員北田暁大さんの課題「日本社会論の新たなる可能性に向けて」で応募したアブストラクトが次点扱いだったことなのですが、そこからグズグズと1年半かけて新たな切り口からまとめ直したものを、むしろもう一人の編集委員である東浩紀さんの方にご評価いただき、この夏に4号向けのチャレンジ機会をたまわった、という流れでした。加えて言えば、中沢新一思想をここまで僕がフィーチャーすることになったきっかけも、最初の公募時の東さん・北田さんとのミーティング時のサジェスチョンからだったりします。

聞けば、東さんと北田さんの二人が編集委員を務めての第1期『思想地図』は、北田さんが編集される次のvol.5で終了とのことで、ぎりちょんで間に合って良かったです、ホント…。そうした歴史的な号に拾いあげていただけた、東さんと編集協力の宇野常寛さん、NHKブックス編集部の制作スタッフの皆様には、心からの感謝を申しあげるしだいです。

一方で、今回の2本の原稿では、いまどきの既存の「現代思想」にどこか飢餓感を抱いていた人々のニーズに対して、「こういう『思想』を待っていた…!」という将来への予感で応えさせていただけるのではないかという不遜な自負もまた、実は密かにあったりします。
今後、間違ってもトンデモやニューエイジに同一視されることのないようw、さらなる研鑽を積み重ねて引き出しを拡げ、真に普遍的な強度のある10年代の思想の構築に微力を尽くしていきたく思いますので、どうか宜しくお願いいたします…!