暁のかたる・しす

文筆家/編集者・中川大地のはてなダイアリー移行ブログです。

特集・想像力

日本的想像力と成熟/中沢新一インタビュー(聞き手・東浩紀白井聡

イントロダクションを飾る純思想的な「総論編」。特集全体の「想像力」の幅の広さと深さを示す、巻頭に相応しい歴史的座談。浅田彰柄谷行人の『批評空間』ラインを出自に持つ東浩紀以下の『思想地図』が、おそらくある時期からの「現代思想」に距離を置いてきただろう中沢新一を迎えたというあたり、ニューアカ以降の現代思想史を知る人には感慨深いんじゃないでしょうか。文明論的な射程で、今号全体を通じて問われる日本的な思想文化の根源についての話題を最も大きいスケールから示しています。中川も、実は見学させていただいておりました。個人的に「動物化」vs「対称性人類学」をめぐる対話や、ソーカル事件の受け止めがアツかった。

一〇年代にむけて中沢新一を読むためのブックガイド/中川大地

上記の歴史的意義に感応し、これは俺がやらねば! と意気込んでしまったのを拾っていただいた記事。インタビューの補足的な記事なのでコメントはしませんが、冒頭の文に校正漏れがあったので訂正を。。正しくは「もしかすると本誌読者の中には、中沢新一の名にアクチュアルな現代思想家としてのイメージを抱くことが、難しい【人もいる】かもしれない。」です。

「構成」の想像力――建国神話の生み出す政治文化/仲正昌樹

「政治編」。アメリカの政権樹立時に繰り返される「建国/創設」の物語の共有という社会契約的な公共性の仕組みを検討し、そうした政治哲学が成立しない日本の歴史条件を確認する論考。全体のラインナップからするとちょっと浮いて見えますが、実は、のちの論考や座談での「悪い場所」や「政治性」をめぐる論点を提起する伏線になっています。

アート不在の国のスーパーフラット村上隆インタビュー(聞き手・東浩紀黒瀬陽平

「美術編」。仲正論考にあるように日本に欧米的な政治的公共性が根づかないのと同じ意味で、日本では「アート」がほとんど成立しない(つまり椹木野衣の言う「悪い場所」である)。それを百も承知で、ある面では資本主義のゲームと割り切りながらも、それでもなぜ村上隆が日本でアートを行おうとするのかを、粘り強く問う真摯なインタビュー。

新しい「風景」の誕生 セカイ系物語と情念定型/黒瀬陽平

アニメにおけるセカイ系作品の具体的な表現構造の分析に始まって、それを椹木野衣の言説分析に適用し、ついには日本の諸分野の言説を呪縛している「悪い場所」という物語の脱神話化に至る点が白眉。「偽史」が新たな風景を生み、そこから従来とは異なる物語を駆動することを歓迎する論調は、12/2配信予定の「ビジスタニュース」に書いた僕のお台場ガンダム論とも通じていて驚いた。構成的には、「美術編」と「アニメ編」を架橋する稿になっている。

ラメラスケイプ、あるいは「身体」の消失/斎藤環

サマーウォーズ』や中上健次村上春樹における「身体性」描写の衰退と「キャラクター」前景化のトレードオフ関係の分析を通じて、断片の重層(ラメラスケイプ)たる新しい現実感を提示する文学論。ラカンが手薄にしていた想像界の多層性への認識をその理論的基盤にしているあたりが、超参考になった。つまり、各種コンテンツジャンルにおける「キャラクター」とは何かという原理的考察を、精神分析学の立場から行っているのが、この論考なわけです。そして特集内では「アニメ編」と「文学編」を架橋する役割も。

座談会・物語とアニメーションの未来/東浩紀宇野常寛黒瀬陽平+氷川竜介+山本寛

「アニメ編」。まさに「アニメ誌が書けないアニメ批評」。『ヱヴァ破』『サマーウォーズ』『東のエデン』といった09年の話題作へのクリティカルな評価から的確に状況を整理、そこで日本における「政治性」の在り方がアニメの物語を困難にしている現状が炙り出されてくる点が、この座談会の面白いところ。

キャラクターは越境する?[二つの創作に寄せて]/宇野常寛

「文学編」の前振りと幕間にふさわしい、つづく2編の「キャラクター小説」の解題。斎藤環さんのラメラスケイプ論考を踏まえて読むと、モデルケースとしてすごく腑に落ちる構成が見事。

イッツ・オンリー・ア・ビッチ/阿部和重

『キャラクターズ』『ハルヒ』『ディケイド』のパロディ要素はわかった。他にもありそうだけれどどうだろう。

エスパーニャの神/鹿島田真希

戦国BASARA』BLとキリスト教モチーフを結合させた、多分セルフパロディ的な実験作。鹿島田作品未読ながら、『PLANETS vol.2』のインタビューでバックグラウンドがわかっていたので、いろいろニヤニヤできた。

座談会・村上春樹ミニマリズムの時代/東浩紀宇野常寛福嶋亮大+前田累

「文学編」。『1Q84』が期待はずれだったという話から村上春樹史を遡行する中で、セカイ系から遠景となる起源的な「偽史」さえ消失し、近景だけに閉塞する「ミニマリズム」という時代の条件が明らかになる。黒瀬論文を伏線として読むと、より納得が深まります。

ポスト・ゼロ年代の想像力――ハイブリッド化と祝祭モデルについて/宇野常寛

ここまで各分野のインタビュー・座談会を通じて見えてきた日本的想像力の共通の動向を俯瞰・総合し、その中から批判的市場主義として抜け出しつつあるハイブリッド化=祝祭モデル=民主主義2.0に期待をかける。ここまでの座談会でのコンセンサスをまとめ、未来に向けた特集のひとまずの結論をなす堂々の「総括編」。いわば「コンテンツ派」のマニフェストか。

座談会・変容する「政治性」のゆくえ 郊外・メディア・知識人/東浩紀宇野常寛速水健朗宮崎哲弥

「政治編2」にして「総括編2」。特集で想像力=表象の分析から見えてきた、欧米とは違う現代日本の制約条件下での「政治性」を、いかに大衆に届かせ現実を変える力にするか。今までの『思想地図』パラダイムのコンセンサスの外にいる、宮崎哲弥氏の忌憚ない立場との対峙が刺激的。従来のようなアレント的な「公(ビオス)」と「私(ゾーエー)」の対立の中で前者に価値を置く伝統近代的な「公共性」観ではなく、むしろ「私」の基盤を下支えする基底的価値として日本の場合の公共性を再定義するラストの合意は、激しく納得。