暁のかたる・しす

文筆家/編集者・中川大地のはてなダイアリー移行ブログです。

きまっちまった…

 昨年4月からこっち、地域文化への貢献という名の住民エゴで、どのみち建ってしまうことが不可避なのなら、高度成長・バブル的な伝統放棄と景観破壊の戦後日本の建築慣行への決別のシンボルとすべく、わが墨田に建つ新東京タワーを明治〜大正期の帝都のシンボルだった稜雲閣(浅草十二階)の復興として建てよ!などというムチャな活動を展開してきた中川ですが、既報のとおり事業主の東武鉄道が正式にデザインを公開しました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061124-00000112-zdn_n-sci

 まあ、どのみち素人の不立場な提案がデザインに反映されるはずもないのはどうにも仕様がないとして、ぱっと見ほとんど最初期からのパース図と変わらない。http://www.tobu.co.jp/news/2006/11/061124.pdfのリリースにある、デザイン監修に担ぎ出された安藤忠雄のコメントもほんとやる気なさそう。


> 安藤忠雄 氏 建築家、東京大学名誉教授
新タワーのデザインは装飾的に凝ったものではなく、シンプルで街の 風景に溶け込むようなものが市民に永く愛されると思います。市民アンケートで「新たな都市景観の登場」が求められていますが、それは 奇抜で目立つということではなく、周りの風景といかに調和しながら地域のランドマークとして愛されるかということであると捉えています。また、東京は大都市の中では稀にみる水と緑の豊富な都市です。 当敷地は浅草に近く河川と隣接していることから、全体計画は下町の雰囲気を活かすことや水辺空間との関係も合わせて考えていくのが良いと思います。隅田川北十間川の水と敷地から広がる緑が一体となり、タワーの展望台から美しい風景として眼下に広がることを期待しています。


 …生コン工場の跡地と醜いコンクリ堤防に阻まれた北十間川のドブ運河沿いのどこに緑があるんじゃオラ! 現場もろくに見ずに区が出した通り一遍のまちづくりプランのペーパーにある「水辺」の言葉尻を引き写しただけ感がアリアリ。まあ、下手に本気出されて土地本来の意味性を脱構築とかしたわざとらしい安藤デザインにされても困るんだけどさ…。

 一応の救いは、もうひとりの監修者の澄川喜一の意向かもしれない。


>澄川喜一 氏 彫刻家、元東京芸術大学学長 島根県芸術文化センター・センター長、日本芸術院会員
 市民アンケートによると、タワーデザインに求められているのは「日本的」と「未来的で斬新」という相反するものでした。日本の伝統を継承しながら、これまでにない斬新なデザインとすることが一番の課題でした。そこで日本の古代建築の代表である五重塔の構造を現代の制振システムとして応用したり、タワーの形状に日本的な「そり」「むくり」といった曲線美の要素を取り入れる一方で、従来のタワーデザ インの延長ではないシンプルなプロポーションを採用しています。600m級の高さに位置するアンテナと塔体との視覚的なバランスも、五重塔に倣い均整のとれた美しい印象を与えるようにしています。天へ垂直に伸びる姿が東京の新たなランドマークとなることを期待しています。


 ま、この程度の大味な「伝統継承」なんてのは、どこの大口建築でもやっているしょぼい自己満足エクスキューズレベルのものに過ぎないには過ぎないだろう。でも、当初のこちとらのココロザシにちみっとでも通じる意味性は、これくらいしかないなあ…。頭切り替えて、今後はここに依拠して、そこの物語性を最大化していく戦略を採るのが吉かな。
 

 ありもしないルーツを捏造しようとする、「J回帰」と嗤いたくば嗤え。所詮、おれらの記憶にある「下町気質」だの「伝統文化」なんてものは、あらかじめ喪われてしまったがゆえの憧憬と思いこみが多分に誇張した、「日本先住民(佐々木守)」並みのファンタジーに過ぎないかもしれない。
 だけれども、そう易々とファスト風土と共同体不在の情報環境に順応できるようになど、人間って動物はできてはいない。一見、自意識レベルでは簡単に「慣れ」ることができてはいても、無意識の身体レベルで蓄積していく不調和環境への適応ストレスは、確実に社会レベルで人々の心身を蝕み、人間性を痩せ細らせていると思う。
 抗いがたいそんな大流の中、そうはならずに済むルネサンスの回路がたとえ僅かでもあるなら、しぶとくしぶとく賭けつづける。できる範囲で。
 ムダを承知の撤退戦なのだ、最初からこれは。