【勝負仕事告知2】私設『思想地図 vol.4』全記事ガイドコメンタリ
ちびちび読み進めていた『思想地図 vol.4』、ようやく読了。頭から順番に全部読んで、各記事の並びが予想以上に緊密な連関性を醸し出していて、慄然とする。まさに全体を通じて、断片同士がかけ合わさって、全体で一遍のハイブリッドな物語になっているかのよう。こりゃすごいや。バトンの受け渡し感・視点の複線化感が、これまでの号以上に強い気がします。編集者脳がビリビリ刺激されまくりの読後感にまかせて、全記事の流れを意識してコメンタリーしたい欲望がムクムクと。もう書店に並んでるようなので、これから読む人向けのガイドに、11/26にツイッターでつぶやいたものに加筆してまとめてみました。
特集・想像力
日本的想像力と成熟/中沢新一インタビュー(聞き手・東浩紀+白井聡)
イントロダクションを飾る純思想的な「総論編」。特集全体の「想像力」の幅の広さと深さを示す、巻頭に相応しい歴史的座談。浅田彰・柄谷行人の『批評空間』ラインを出自に持つ東浩紀以下の『思想地図』が、おそらくある時期からの「現代思想」に距離を置いてきただろう中沢新一を迎えたというあたり、ニューアカ以降の現代思想史を知る人には感慨深いんじゃないでしょうか。文明論的な射程で、今号全体を通じて問われる日本的な思想文化の根源についての話題を最も大きいスケールから示しています。中川も、実は見学させていただいておりました。個人的に「動物化」vs「対称性人類学」をめぐる対話や、ソーカル事件の受け止めがアツかった。
「構成」の想像力――建国神話の生み出す政治文化/仲正昌樹
「政治編」。アメリカの政権樹立時に繰り返される「建国/創設」の物語の共有という社会契約的な公共性の仕組みを検討し、そうした政治哲学が成立しない日本の歴史条件を確認する論考。全体のラインナップからするとちょっと浮いて見えますが、実は、のちの論考や座談での「悪い場所」や「政治性」をめぐる論点を提起する伏線になっています。
アート不在の国のスーパーフラット/村上隆インタビュー(聞き手・東浩紀+黒瀬陽平)
「美術編」。仲正論考にあるように日本に欧米的な政治的公共性が根づかないのと同じ意味で、日本では「アート」がほとんど成立しない(つまり椹木野衣の言う「悪い場所」である)。それを百も承知で、ある面では資本主義のゲームと割り切りながらも、それでもなぜ村上隆が日本でアートを行おうとするのかを、粘り強く問う真摯なインタビュー。
新しい「風景」の誕生 セカイ系物語と情念定型/黒瀬陽平
アニメにおけるセカイ系作品の具体的な表現構造の分析に始まって、それを椹木野衣の言説分析に適用し、ついには日本の諸分野の言説を呪縛している「悪い場所」という物語の脱神話化に至る点が白眉。「偽史」が新たな風景を生み、そこから従来とは異なる物語を駆動することを歓迎する論調は、12/2配信予定の「ビジスタニュース」に書いた僕のお台場ガンダム論とも通じていて驚いた。構成的には、「美術編」と「アニメ編」を架橋する稿になっている。
ラメラスケイプ、あるいは「身体」の消失/斎藤環
『サマーウォーズ』や中上健次・村上春樹における「身体性」描写の衰退と「キャラクター」前景化のトレードオフ関係の分析を通じて、断片の重層(ラメラスケイプ)たる新しい現実感を提示する文学論。ラカンが手薄にしていた想像界の多層性への認識をその理論的基盤にしているあたりが、超参考になった。つまり、各種コンテンツジャンルにおける「キャラクター」とは何かという原理的考察を、精神分析学の立場から行っているのが、この論考なわけです。そして特集内では「アニメ編」と「文学編」を架橋する役割も。
座談会・物語とアニメーションの未来/東浩紀+宇野常寛+黒瀬陽平+氷川竜介+山本寛
「アニメ編」。まさに「アニメ誌が書けないアニメ批評」。『ヱヴァ破』『サマーウォーズ』『東のエデン』といった09年の話題作へのクリティカルな評価から的確に状況を整理、そこで日本における「政治性」の在り方がアニメの物語を困難にしている現状が炙り出されてくる点が、この座談会の面白いところ。
キャラクターは越境する?[二つの創作に寄せて]/宇野常寛
「文学編」の前振りと幕間にふさわしい、つづく2編の「キャラクター小説」の解題。斎藤環さんのラメラスケイプ論考を踏まえて読むと、モデルケースとしてすごく腑に落ちる構成が見事。
座談会・村上春樹とミニマリズムの時代/東浩紀+宇野常寛+福嶋亮大+前田累
「文学編」。『1Q84』が期待はずれだったという話から村上春樹史を遡行する中で、セカイ系から遠景となる起源的な「偽史」さえ消失し、近景だけに閉塞する「ミニマリズム」という時代の条件が明らかになる。黒瀬論文を伏線として読むと、より納得が深まります。
特別掲載
父として考える/東浩紀+宮台真司
特集の緊張感と一転、思わず頬が緩まずにいられない非常にハッピーな対談。しかし内容は本質的で、『東京から考える』の問題意識を突き詰めた、地に足ついた分析と提言が素晴らしい。そして実は、ここでの視点は宮崎座談会の結論に接続しての、あるべき「公共性」の像を具体的に考えたものでもあります。子を持ち育てる勇気が湧いてくる、希望への想像力に満ちた、いわば特集の「発展編」。
「生命化するトランスモダン」への助走――「環境」と「生命」の思想戦史/中川大地
こうしたどえらい流れの最後に、畏れ多くも置かれてしまった拙稿。ひたすら恐縮ながら、自分なりにここまでの多くの論点を包摂し(もちろん執筆時に本書の他のコンテンツを知っていたわけではないので、あくまでも提起されるはずの価値観を予想して)、ある種のアンサーを試みるボーナストラック的に機能するよう、心がけたつもりでした。
つまり、仲正〜黒瀬論考までで提起された日本特殊性論のクリシェたる「悪い場所」としての屈託を過去のものとする認識を引き取り、斎藤論考における想像界や身体の階層性を仮構する理論構成に対応し、アニメ座談会〜宇野論考までの時代認識と批判的市場主義としてのハイブリッド化戦略を踏襲し、宮崎座談会・子育て対談におけるM2コンビのおかげで浮き彫りにされた<生活世界>に立脚するゾーエー的な公共性を指向する思想として、90〜ゼロ年代の中沢新一が追求していたように、日本にはもともと生命主義的な基盤がある。それを現代の生命科学や情報技術の水準でアップデートするのが、思想史的には最も王道なはずだというオイシイ主張をしているのが、実はこの論文です(笑)。
さて、成否のほどはいかに……。
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